冬期間の子どものからだづくり塾について
2017/10/08
北海道の子どもの学力・体力低下が問題視されながら、大きな変化もなく続いています。最下位だった福井県が、学力・体力ともに上位に位置して継続されています。良くても悪くても流れが進むとそのままある程度続くものですから、このまま福井が上位から下がらなければ定位置を確保するのでしょう。そのための改革をみると確かに大改革となりますが、大きく変換するためにはそのような改革が必要なのかもしれません。
昼休み本を読みたくても、グラウンドに出て運動をしなければならないと読書家の子どもからの意見もありました。しかし、体を動かすことが苦手な子どもが家で自ら運動をするはずもなく、読書が好きならばどこでもその子は本を読むでしょう。将来を考えればある程度強制的に体を動かす習慣をつけるにはやはり学校内で仲間と共に汗を流すことが大事であると思われますが、少数意見でも発言があれば問題視しなければならない時代の中で、そのことをどう扱うかが難しい問題です。
子どもの意見を尊重し、本を読みたい人はどうぞ読んでくださいと云えば、子どもにからだを沢山動かしてほしいと考えるその改革はそこから崩れてしまいます。何を優先し、子ども達にどのようにして理解させていくか、指導者側の指導能力にかかってきます。
以上は、国や県などの「子どもの体力と学習能力低下の関係」を研究の立場からみれば分かる事でも、子どもに理解させることが難しく、保護者の理解と協力が課題であることが分かると思います。
しかし、最近は子供の意見が最優先されることが多く、ここにも先に進まない事情がありそうです。私達は、2歳からの幼児期から中学生、そして高齢者までのからだづくりを指導しています。長く日本の子どもは幼児期から既に運動不足といわれながら何が問題かと云えば、子育てや生活習慣に昔との大きな変化がありながら、子どもの運動不足、動き不足を感じていないことに親としての問題があるように感じます。
小学生の活動では明らかに保護者が熱心であることが(当たり前ですが)第一条件です。しかし保護者が熱心でも子どものいうとおりになっていれば別の問題が起きてきます。からだがグニャグニャ、重心がずれていて、足がしっかり踏み込めないので、基礎基本的な動きづくりがうまくいかず、からだもこころも面白くない。楽しくない。指導者の話もよく聞かず、やろうとする意欲も出てこない。そんな子が親にどのように云うかと云えば、「野球をやりたい」とか「サッカーをやりたい」などと高学年にいくとスポーツ志向になります。しかしそれを続けて盛んにやれるようになれば(あそびとしてやっているうちは良くても)怪我が多くなり、やがてそのスポーツも継続できなくなります。
昔の子どもは子ども時代に屋外で遊びながら力をつけてからスポーツを始めたので、怪我でもしながらなんとか思春期をスポーツで鍛えたものですが、今の子どもは最低の体力が無いうちに偏ったスポーツに励むので、からだが偏り、他の運動や動きができない子が多くなっています。空手で優秀(トップ層ではない)でも、走ればおかしな走り方、基本的な動きもバランスを崩し不安定。しかし空手の技だけは何とかこなす。
股関節が痛い、片足が上がらないなどでその種目ができなくなる。それらは基本に戻り本能的な走りをさせながら基礎基本の、特に動きのリズムやアクセントを直していけば、股関節の痛みが消え、足もよく上がるようになり、空手の技(他のスポーツ種目でも同じ)にも好影響を与える例などみています。しかしもうそのスポーツにどっぷりつかってしまえば、基礎基本に戻り手直しすることは難しいのです。スポーツでの怪我は一生ものです。
私自身が今80歳を超えて日々実感しながら、周囲の元スポーツマンの加齢によるスポーツ障害で悩み、何もしなかった人達よりも元気を失っていく姿を沢山見てきています。今自分もそうなのです。普段は元気なようでも、元スポーツマンたちは苦しい高齢期で悩んでいます。
今のスポーツマンは、すぐれたトレーニングやメンテナンスを受けているのでその様な高齢期にならないかも知れません。でも中途半端なスポーツマンは後々スポーツをしなければよかったということになりそうです。あまりに早くから偏ったスポーツをしているからです。リハビリテーション専門学校でのアンケートで、「学生時代にスポーツをしなければかった」という意見があまりに多くてショックを受けたことがあります。やはり体の異常や関節痛、筋肉のつき方などをあげていました。
今私はそのような観点から、「子どものからだづくり」をやっています。高齢者の中でもスポーツをしてきた方、全くしてこなかった方など様々ですが、してきた方はおおむね骨が丈夫、骨格がしっかりしています。加齢とともに骨が丈夫ということは財産です。今の子どもは、骨が細く、筋肉も細い特徴があり、「細マッチョ」とか言いますが、先進国にはそのような言葉はないといいます。やはり、肩幅が広く、安定した下半身をつくるための体幹を鍛えるトレーニングに勤しんでいる人が仕事もできる人という評価のようです。
そんな考えで行うからだづくりも、多くのストレス(子どもなりのストレス)を抱えてて自由に動きたくて参加する子ども達のために有効な運動内容はどうあるべきかと悩みながらの指導です。
最近は特にひどくなる我儘な子どもの対応に指導員は、指導に行くのが気が重い、行きたくない、どうしたらよいかと悩んでいます。私達の活動では、子ども達が自ら動きたくなる、動けるように、なるべく自由度を多くするように考慮しており、昔の子どものように「よく遊んだ人はやはり人格形成に役立っている」といわれるようにと工夫し、配慮し勧めているのですが、「勝手な行動」「いうことを聞かない」、その上、暴言、暴力が出てくるので困り果てています。子どもですからそれでも指導次第では変化するのではないかと今様子をみています。
学校教育とは異なる指導で子どもに対応するべく努力をしており、この活動から学校での態度にも変化が出ているので、社会教育として別の視点から子どもの支えになるべく今奮闘中です。でも眠れず悩むのは、そんな様子を保護者が知らないということです。それで良いのか否か悩むところです。
<最近の状況から>